カマキリの巣立ち

下の写真のほぼ中央にある緑色の棒に小さな白い虫が一杯止まっているのが見えるだろうか?この虫は、カマキリの赤ちゃんです。1匹づつ見えるだけでなく、塊になって見えるのもある。丁度、棒の左側表面にある。下半分がカマキリの赤ちゃんの塊、上半分がカマキリの巣である。この巣から赤ちゃんが生まれたようだ。離れ庭の一角に野菜を少しばかり作っている。サヤエンドウとかいう豆を作っていて、豆の枝を支える支柱にカマキリが巣を作ったようだ。巣の存在は今年の3月頃から気が付いていたが、まさか、その巣から実際に赤ちゃんが生まれて来るとは考えていなかった。

下の写真は、上の写真を少し拡大して写しただけだ。3枚目の写真はさらに拡大して撮影したものだ。本当は、緑色の支柱の上の方まで、カマキリの赤ちゃんが登って行っており、それを撮影したかったのだが、豆の影になり、撮影したら黒くて見えなかった。豆の枝を取ってしまったら、上手く映るのだが、まだ、豆が成長する途中なので、取り去る事が出来なかった。

小さいが、成虫のカマキリと同じ形をしている。サイズは数ミリ程度である。この赤ちゃんの何%が無事に大人になってくれるだろうか。多分、鳥とか虫に見つかると、ここに写っているカマキリは全滅するだろう。何とか捕食者に見つからずにいて欲しい。

翌日、同じ巣を見に行くと、もう一匹もいなくなっていた。下の写真は、2日後のものだが、巣立ちの翌日(5/31)も同じ状況だった。巣の近くに長く居続けると、危険なのだろう。あんな小さな赤ちゃんなのに、早々とどこかへ行ってしまっていた。支柱にも、近くの草にも全く見かけなかった。

マムシの季節?

マムシは、梅雨の時期に出産するようだ。毎日ワンちゃんの散歩に出かけているが、この時期、年に1回は、散歩道でマムシが1匹か2匹、車に轢かれて死んでいるのを目撃する。

マムシが棲んでいる所は、大体決まっていて、ワンちゃんの散歩道のほんの一部である。自宅界隈では、マムシが棲息するところにはそれを示す看板が立ててある。看板が立ててある場合、そこを素足で歩くのは危険である。出来れば、長靴が望ましいが、私はトレッキングシューズを履いて歩くことにしている。加えて、出来るだけ、草むらは歩かないこととしている。勿論ワンちゃんも草むらには入らせないようにしている。

大体、梅雨の時期を過ぎると、マムシの子育ては終わるようだから、咬まれる危険は少ないようだ。

幸い、私もワンちゃんも一度もマムシに咬まれたことはないが、日本全国では、矢張り咬まれる人がいるようだ。何年か前のことだが、田舎にあるお墓の掃除に行った時、同じように墓掃除に見えた老夫婦がいた。女性の方が、墓の周りに茂っている草を取ろうと手を草むらに入れた途端、咬まれた。痛いと声を発するので、男性が調べたところ、マムシだったようだ。それで、墓掃除を中断し、慌てて奥さんを車に積んで病院へ行った。当日は休日だったので、近くの病院が開いておらず、遠方の救急病院まで行ったそうだ。

マムシは猛毒なので、咬まれた後の処置が大変だ。だから、この時期になると、マムシに十分気を付けて散歩をすることにしている。これからの3か月間ほどは、気を抜くことのできない季節である。

ブラシの樹

ブラシの木は、オーストラリア全域からニューカレドニアに分布する低木から高木の常緑性花木のことだそうだ。学名はCallistemon (カリステモン)というらしい。

特徴は花の姿で、ビンを洗うためのブラシそっくりの姿ということから、英語ではボトルブラッシュと呼ばれている。樹高は1~3mで、5月頃に開花するそうだ。

上の写真は、我が家の庭に植えたブラシの木である。まだ、樹齢が若いので、枝が細く、ブラシの花の重さで大きくしなっている。もう少し、枝が太くシッカリとして来たら、樹形がよくなると思う。

上のブラシの木は、ワンちゃんの散歩で見かける近所の家に植えてある木だ。樹齢が高いので、枝がしっかりとしており、ブラシの花が沢山咲いても、しなっていない。だから、樹形もよく、理想的なブラシの木である。

上のブラシの木の、花を拡大撮影したらこんな状態です。これだけ花を咲かせると、木が弱るのじゃないかと心配する。

下の写真は、ブラシの木とは関係ない。スモークツリーという樹である。やっと、花がスモーク状態になりました。これから、スモークがドンドンと発達し、存在感を増してゆく。

只今読んでいる書籍

今、小林惠子(コバヤシヤスコ)の書いた古代史関係の作品に挑戦している。タイトルがかっこ良くて、ついつい購入意欲が高まってしまうのだ。今読みかけの書籍は「古代倭王の正体 -海を越えてきた覇者たちの興亡ー」というタイトルである。扱っているのは卑弥呼、神武、ヤマトタケル、応神、雄略、聖徳太子等々である。いずれも、中国、韓国から渡ってきたとしている。それを、色んな古代の書籍をもとに説明するのだが、中国、韓国の地名、時代が沢山出てきて、歴史音痴の私はとても苦労している。

今読みかけの書籍の他にも、2冊、同じ著者の書籍を読んだが、難解で、1回読んだだけでは、頭に何も残らない。難解の理由は、中国、韓国の古代の地名、時代、人名が頻出していて、とても頭に入らないからだ。それでも、この著者の見解は、邪馬台国は奄美大島に有ったとしていて、魏志倭人伝にいう「・・・南へ・・・ 水行20日・・・」という辺りの解釈を、邪馬台国近畿説は、「南」を「東」の誤りとしていることに異を唱える。「南」として解釈すると、奄美大島の可能性は否定できないとしている。この考えに私は納得し、この著者の書籍を読みたいと思ったのである。都合3冊読んでいるが、1冊目よりも2冊目、2冊目よりも3冊目の方が説明が平易になっているのを選んだつもりだ。それでも、3冊目においても、途中で、読むのが辛くなる。このまま、最後まで読めるかどうか自信が無い。

今日は、ジュンク堂へ行って、中国の古代史の本を買ってきた。今の書籍を読むにあたって、中国の古代史の理解が必要であるからだ。果たして、計画通り内容を理解しながら読破できるだろうか?

鯛ラバ釣りメモ

先日、初めて鯛ラバ釣りをしたが、確かに良く釣れる。でも、これは指導者に教えてもらった通り実践したから釣れたのだと思う。我流でやると、何時まで経っても釣れないだろう。指導者のアドバイスを忘れない内にメモしておこう。

①諦めず、根気よく釣りを繰り返す。  

これは、釣りの基本のようだ。私は先日は、10投程したら、当たりがあった。殆ど、釣れるとは信じていなかったが、指導者の助言を信じて繰り返したのが良かったようだ。

②巻き上げ速度は一定で。

鯛ラバ釣りでは、これは大原則だ。特に、巻き上げ途中に当りがあっても、速度を変えてはいけない。先日の釣で、私が1匹目を釣り上げた後、2回当りがあったが、当たりかどうか確かめるために速度を緩めたら、当たりが無くなった。速度は速めても、遅くしてもダメだ。理由は分からないがこれは鉄則だ。その後、巻き上げ速度を一定にすると、2匹目が釣れた

③潮の流れに合わせて錘を調節する。軽いと、錘が着底しても、直ぐ浮いてしまう。これは、道糸が潮の流れに押されて流れるようとするからである。その押される力に抗するだけの重さの錘が必要である。

④底から50m程巻いたら、再び底まで落として巻き上げを繰り返す。3度程繰り返したら、巻き上げて、仕掛けが絡んでいないか、異物が付着していないか確認する。

⑤その他に私が気が付いたことは、糸と糸の結束方法を覚えておくことが大事だということ。特に、道糸が1.5号と細いのに対し、道糸の先端に結ぶナイロン糸は5号と太い。太い糸と細い糸の結束は、あらかじめ知っておかないと、ボートの上で実践するのは難しい。   

釣り糸の結び方のページ ⇒ こちら

                 ⇒ こちら

パエリアを作ってみた

私は、パエリアが好きである。パエリアのおいしい店が4、5年前に閉店してから、パエリアを食べたことが無い。それでは自宅で作ろう!ということで、パエリア専用の鍋を先週の木曜日にネット注文した。土曜日に届いたので、早速、具材を購入しにイオンへ行った。そして、その日の夕食にしようと、ネット検索した作り方レシピを見ながら、女房と2人で調理した。意外に簡単に調理できた。

上の写真は炊き上がったパエリアを撮影したものである。ご飯は3合使った。具材はアサリ、鶏肉、イカ、ムール貝、エビ等々を使った。

食してみたが、結構いい味が出ていた。結局、具材で煮汁を作り、その味でお米を焚く訳だから、具材にどのような材料を用いるかによって味が決まる。アサリは味が出るので必須だと感じた。また、エビも良い味を出すのに必要だ。イカも同じだ。カシワも味を良くするのに必要だ。パプリカは色づけだけだ。出来れば赤いパプリカの方が、カラフルになっていい。

夕飯はパエリアだけとなったが、2人で3合は少々多かった。これから作るときは、2合で良いと感じた。それにしても、パエリアはどの具材を使うかによって味が異なるので、工夫次第で、美味しいオンリーワンを作る事が出来るという確信を持った。

ボート釣り

11日(土)は好天に恵まれ、友人のKW氏とボート釣りに行った。KW氏は釣りはほとんど初心者だったが、波が穏やかだったせいで、釣りを楽しんでいた。

宮津市のマリントピアからボートを出し、最初は蒲入の沖合、水深90mラインで釣りをし、そこそこ魚を確保した後、白石グリに移動した。水深100m程のところを流し釣りした。しかも、初めての鯛ラバ釣りをした。本当に魚がかかるのか不安だったが、10投目くらいにアタリがあり、上の写真の真鯛が釣れた。右にいるKW氏は、アマダイを釣った。

当日の釣果は、50~60cm真鯛3匹、40cmのアマダイ1匹、25~35cmのレンコダイ7~10匹、ウッカリカサゴ1匹、メバル、カサゴ数匹だった。もっと時間をかければ釣果は上がっただろうけど、食べる以上に釣るのは、主義に反するし、自然の恵みを大切にしたいので、早々に釣りを終えた。

釣った魚は、マリーナにあるレストランで、捌いてもらい、そのうち数匹を上の写真のように調理し食卓に出してもらった。写真は、ウッカリカサゴとレンコダイの刺身である。この他にレンコダイの煮つけ、塩焼き等も食卓を飾り、満足した夕食だった。

当日の食事の圧巻は上の写真の握りだ。ウメ味の握りとシオ味の握りだ。上に乗っている魚はカサゴやメバルだと思う。シャリも良いのを使っているのか、とても美味しかった。次に同じような食事をできるのは何時になるだろう?

我が家のワンちゃん達

連休後半に、外付けHDに格納しているアルバムを整理していたら、過去から現在までのワンちゃんの写真が見つかった。とても懐かしく、思い出とともにアップしてみる。

最初に飼ったワンちゃんは、上の写真のハスキー犬である。名前はゴクウという。息子が当時の漫画の主人公から命名した。

1990年から2007年まで約16年間我が家で暮らした。体重は26Kgと重く、大型犬に属する。寒さに強く、冬、庭に雪が積もると、その上で寝ていた。でも、その分、暑さに弱く、夏はかわいそうであった。我が家の娘、息子が小学生だった頃から大人になるまでの間、娘、息子の子守役として、大変世話になった。ただ、番犬としては役に立たず、庭の横の駐車場に止めていた車を窃盗されたが、庭にいるにもかかわらず、全く窃盗犯に対して何も威嚇していない。多分、犯人に前もって手なずけられていたのだろう。

2004年から2011年まで飼った。大変利口でスポーツ性能抜群のワンちゃんであった。名前は、ガンプと言います。私が名づけました。当時、映画でフォレストガンプというタイトルの物語を見た。大変面白く、感銘を受けたので、命名した。

ガンプの親が優秀で、日本、オーストラリアでチャンピオンの称号を取得しているし、インターナショナルチャンピオンの資格も取得していた。本人も、優秀で、CDⅡの資格取得した後、CDⅢとCDXの資格を一度に取得した。CDⅢは15科目、CDXは20科目の試験に合格する必要がある。人間にとっても難しいがワンちゃんにとっては大変難しい。普通のワンちゃんは勿論できない。訓練士曰く、「ガンプは教えたらいくらでも覚える」らしい。本当に頼もしいワンちゃんでした。でも、8歳の誕生日を迎える前に、肝臓癌に罹り、虹の橋を渡った。亡くなった時の悲しさは大変でした。ペットロスという用語があるが、私もペットロスになってしまいました。

ゴクウとガンプとの共同生活から2頭飼いのよさを味わったので、ガンプが4歳になって訓練から解放されるようになったとき(2008年)に、上の写真の茶色ボーダーを飼いはじめた。名前は、MIR(ミール)といいます。当時、何処かの国が衛星を打ち上げたとか話題になったので、衛星の名前を付けようと考え、ネット検索して、ロシアの衛星の名前を付けた。

ミールの生家は向陽ドッグスクールで、トレーニングに力を入れている。ミールも生後半年になると、生家に預けて訓練をしてもらった。一応、トレーニングチャンピオンの称号を取得はしたけれど、あまり訓練には向いていないようだ。演技でも華麗さが無いのだ。どちらかというと、優しいワンちゃんなので、CDⅡに合格した段階で訓練を辞めた。以後、自宅で生活している。2019年5月の段階で、11歳である。人間なら、77歳に相当し、お爺ちゃんである。でも、食欲はあり、元気である。

ガンプが8歳手前で亡くなって、ミールだけになった段階で、私はペットロスで非常につらい思いをしていた。もう1匹わんちゃんを迎えたいという思いが日に日に強くなり、知り合いの紹介で、優秀なボーダーコリーのブリーダーと出会った。ブリーダーの名前は、GANGSTARという。大阪でボーダーコリーのブリーディングをやっている。主に、ショードッグを育てている。このブリーダーから上の写真のボーダーを2012年に譲ってもらった。名前は、ゴーンと言います。由来は、ガンプが病で倒れたので、次のワンちゃんはそういうことのない、運の強いワンちゃんであってほしいと考え、強運 ⇒ ゴウウン ⇒ ゴーン(GOAN)と名付けた。

ゴーンは血統が良いので、ショードッグとして育てようと思い、ブリーダーさんにJKCを取得してくれるよう依頼した。しかし、こちらの意向は考えているのかいないのか、生後半年からブリーダーの家に預かられ、パピーの段階からドッグショーに出場した。パピーでいくら頑張ってもショードッグに必要なポイントは付かない。こちらの意向はショードッグにしてほしいのにその意向は理解していたのかどうか。

兎に角、預かり飼育してもらい、さらにドッグショーに出陳すると、1か月に、大卒初任給以上の費用を請求される。1年近く、我慢してお世話になったが、経済的な問題で、チャンピオン取得を諦め、GOANを自宅へ連れて帰った。

1歳半から今まで、大きな病気をすることなく、生活している。暑さには弱く、春から夏にかけて気温が急に上昇する頃に食欲を無くす。暑さになれると戻ってくるが、少しの間はほとんど食べない。これが可哀想である。それ以外は順調である。

しぐさが可愛くて、一緒に遊ぶのが楽しい。でもそろそろ、7歳になる。何とかガンプの亡くなった年齢は超えてほしいと願っている。

ゴールデンウイーク前半

今年のゴールデンウイークは10連休と長いが、我が家は法事からスタートした。

今年は、祖父母の50回忌、母の21回忌に当たり、3者を纏める法事をした。21回忌というのは法事には無いので、25回忌として務めた。

50回忌となると、もう呼ぶ人がいないので、私ども夫婦、子供、孫の合計6人で法事を務めた。上の写真は、お経が終わり、孫達への説話である。お経のときは退屈そうだったが、お話しとなると、集中して聞いていた。説話が終わったのちは全員で市内のレストランへ食事へ行き、食事をして無事法事を終了しました。次の法事は11年後だそうだ。母の37回忌(?)があるようだ。それまで、私はこの世にいるだろうか?

法事を終えたので、次は、お墓詣りをした。祖父母の墓は故郷に置いたままで、掃除も昨年夏以来やっていないので、法事の2日後にお墓掃除に出かけた。どれだけ草が茂っているのか心配したが、冬は草が伸びないようで、15分も草刈りをすれば綺麗になった。それで、時間が思いのほかあまり、久しぶりにマリントピアへ行き、寿司でも食べようということになった。

福知山市の川口から豊岡市但東町の出会へ出て、そこから宮津市へ向けて走った。途中、「そばの郷」という看板が目に着いた。そばは大好きなので、昼食に蕎麦を食べようということで、その店へ向かった。

「そばの郷」は上の写真のように、広い敷地とそこに建てた大きな屋敷からなる。屋敷の中は、下の写真に示すように広い畳の部屋に沢山のテーブルが並べてある。収容人数は30人以上の筈である。建物はまだ綺麗で、食べる前から美味しいのに違いないと確信する。

そばの郷は、赤花という地区にあるらしく、それで赤花そばというらしい。そばの味はというと、私はとても美味しいと感じた。量も適度で、昼食としてお腹が膨れる。また機会があれば行ってみたいと思う。そばのウンチクは下の写真で読んでください。

そばの郷の敷地内にはもう1軒建物が建っている。下の写真の右側の建物がそうだ。ここは、そば打ち体験道場のようだ。当日も何人かが挑戦していた。

そばの郷のホームページは ⇒ こちら

そばの郷は、若干京阪神からの便は悪いと感じる。でも、美味しいそばを提供してくれるので、訪れてみる値打ちはある。

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