メガネの曇り

コロナウイルスは昨年に比べると、随分と弱体化した。それでも、今は第8波がやってきているらしく、電車の中でも、職場でもほとんど全員がマスクを着用している。

私も例外なく着用しているのだが、この時期になると、眼鏡が息で曇るので、困っている。電車の中とか職場内は、温度が高いので、曇ることはないのだが、道路を歩いているときには、息をする度に、暖かい息がマスクから上昇し、眼鏡を曇らせる。曇りの程度は気温が低いほど激しく、前が見えなくなるほどである。大変危険なので、そういう場合はメガネを外しているが、それも、視界が悪くなり危険である。

昨年は、眼鏡屋さんで、眼鏡が息で曇らないようメガネをある種の液体でコーティングする薬を購入し、試していたが、薬液の付着量の加減が難しく、今一つであった。

今年は、眼鏡の曇りを防止する特殊な構成のマスクを購入し試している。

特殊な構成の一つは、マスクの上辺あたりにスポンジを内方に突出させた構成である。このスポンジは、マスクを装着する人の鼻に相当する部分が凹入させてあり、マスクを装着すると、スポンジと鼻及びその両側の肌表面との密着性が高くなり、息がマスクから上方へ出難くなるのである。

結構効果があり、重宝していたが、長らく使用するとスポンジが倒れたり、マスク上方へ跳ね上がったりして、全く効果が無くなることがあり、寿命に難点があった。

特殊な構成の他の一つは、マスクの上辺に腰の弱い金属板が挿入されている構成である。マスクを装着する際に、マスク上辺を頬や鼻に沿うよう押さえて変形させる。すると、上記したスポンジと同様の効果が発揮され、曇りが防止できる。ただ、類似したマスクは沢山あるが、曇り防止マスクでないと、曇り効果は不十分である。

どうして、曇り防止マスクは効果があるのか、良く分からないが、着用すると、効果の違いが分かる。

外見では、似ているが詳細に見ると、金属板の挿入位置が異なっている。通常のマスクは金属板がマスク上辺のキワに沿って設置されているが、曇り防止マスクは、金属板がマスク上辺より少し離れた下側に挿入されている。加えて、マスク上辺は他の部分より厚みのある布になっている。

この構成がどうして曇り防止効果があるのか、分からないが、試着してみると、効果があることが確認できる。

近視、遠視の方で、眼鏡の曇りでお困りの方は、どうかお試しください。

 

 

 

新雨合羽

これまでGOANのカッパは、GUMPのお古とMIRのお古だった。いずれも水玉模様で、涼しそうな感じのカッパだった。GUMPのお古は少し小さく、MIRのお古は大きかった。

GOANのは、GUMPのお古がサイズとして丁度良いのだが、長期間の使用により、寿命を終えた。MIRのお古は、少しGOANには大きいが、背中の略全体をカバー出来るので、昨年から使用していた。しかし、矢張り長期使用のため、永年劣化し、そろそろ買い替え時だった。

販売されているカッパは、前足、後ろ足を通すタイプと、背中だけを覆いおなかの所でマジックファスナーで止めるタイプのものとがある。GOANは、動きが速いので、足を通すと嫌がる。それで買うのだったら、後者のタイプのカッパに限られる。

先日、カインズへ行った時、ペットの服を見ていたら、写真のようなカッパが売ってあった。サイズも丁度の物があったので、久しぶりに購入した。

自宅で試しに着せてみたら、写真のようにピッタリとフィットした。柄の女性っぽいのが難点と言えば難点であるが、明るくて新鮮味があって良いのじゃないかと思っている。

とっても似合っているでしょう。次回の雨の時はこのカッパを着せて散歩します。

 

 

GOAN on the yellow leaves carpet

晩秋になり、銀杏の葉が散り、銀杏の絨毯がここかしこで見られる。

GOANが銀杏を好きな訳ではないが、絨毯の上に乗り、待てをすると、ポーズをとった。写真に撮られることを理解しているようだった。

すまし顔でポーズをとっています。銀杏の上が満更でもなさそうです。

 

上の写真よりも、更にリラックスしています。

GOANと散歩をしていて、最近気が付いたことがある。それは、GOANが足算の名人だということである。

一例を示すと、散歩する際は、おやつを持って行って、長い距離を歩いたら与えることにしている。GOANはおやつをもらった場所をよく記憶していて、翌日の散歩で同じ場所に達すると、必ずおやつを要求する。

一方、私はどの場所でおやつをやったか大雑把にしか覚えていないので、前回のおやつの場所と異なることがある。その場合、翌日の散歩では、前々日までのおやつの場所でおやつを要求するとともに、前日与えた場所でもおやつを要求する。私は、散歩の都度同じ場所でおやつを与えようとは考えていないので、散歩の回数が増えるごとに、おやつを要求する場所の数が増えることになる。あまりおやつの回数が増えると、体に良くないので、おやつを要求をしても与えないようにしているが、一旦記憶した場所は、消えないようで、何日経ってもその場所に達すると、おやつを要求してくる。

おやつの要求で気が付いたのだが、GOANは、おやつをもらう場所は、すべて記憶しており、いわゆる足算を自然に行っているのである。でも、引き算はできないようである。引き算ができたら素晴らしいのにと思う。

足算のもう一つの例を紹介する。

散歩コースは毎日同じコースだと飽きるので、2週間程度は異なるコースを歩けるよう、14個以上は作っている。毎日散歩コースを歩いていると、GOANもすべての散歩コースを記憶している。

散歩を始めてから8年ほど経ってからだが、面白いことに気が付いた。それはGOANが、幾つかの散歩コースを部分的につないで新たな散歩コースを作ることがあるということだ。勿論、新たにGOANが作った散歩コースは、普段のコース長より長くなり、歩き終わるまでに1時間半程度かかるものもある。

それでも、GOANは、散歩コースを部分的に足算して、新たなコースを作るということが分かった。これには驚いた。

それ以降、散歩の際は、GOANに主導権を与えて、歩いている。自分の思うコースを散歩できるので楽しいのか、散歩が大好きになった。

以上、ワンちゃんの足算のお話でした。

週末の暮らし

今年も解禁日がやってきました。

今日(18日)はボジョレーヌーボーの解禁日。

今年の出来はどうかな?

 

鍋を囲んで、ヌーボーで乾杯です。1年ぶりなので昨年のヌーボーの味は覚えていないが、今年のヌーボーも新鮮でおいしい。一層アッサリとしていると感じた。でも、今年は、昨年より価格が高い。例年は10本を予約していたが、今年は5本になってしまった。

例年は、10本をすべて飲み切らず、残ってしまうことがあったので、今年はそれを避けて数を減らした。でも5本は飲み足らないかも・・・。

翌日の19日は、上の画像の右端中段の数値に示すように、外気温が、4.4度であった。夏以降で最低気温である。

 

寒い中、散歩に出かけたら、エディちゃんに出会った。防寒に可愛い服を着て散歩していた。愛嬌のある顔に服がよく似合う。遠くから見ていたら、前足が茶色く見えて、後ろ足の灰色との違いがとても映えて、斬新なファッションに見えた。

 

GOANと少しだけ遊んでくれた。GOANは独りぼっちが好きなのか、中々一緒に遊んでくれない。

 

 

きり、キリ、霧です!

11月になって、晴れた日の朝は、霧が立ち込めています。

霧で困ったことを列挙すると、次の通りです。

・散歩していると、髪の毛が濡れる。まつ毛に霧がついて冷たい。

・洗濯が乾かない。乾いていた洗濯物が濡れてしまう。

・視界が悪い。車で走っていると、センターラインが見にくい。遠くの対向車が見えないので、突然目の前に対向車が現れる。衝突事故に要注意である。

霧で良いことは、1つだけある。

・放射冷却が起こらないので、早朝の気温が異常に低くならない。

都会では霧は殆どでない。これは、都会は夜気温が下がりにくいからである。気温が下がらないのは、ビルや建物が多く、緑が少ないので、夜にビル等からの熱放射があるからである。対して田舎は、緑が多く、ビルはほとんどないので、夜の熱放射が無く、荒天の朝は地面の熱が上空へ放散し、気温が下がるのである。だから、霧が出るのは自然が残っている証拠であるといえる。

田圃の向こうに民家が見えるが、その奥方は霧で隠されている。霧が無ければ、下の写真の景色が広がります。

 

上の写真とは撮影者の位置が少し移動していますが、大体において同じです。

 

上の撮影者位置で180度回転した方向を撮影しています。田圃の向こうに僅かに民家と温室(2つ)が見える。

 

夜明けが近いので、空だけが明るい。そのため田圃すら見えないが、薄っすらと2つの温室が見えるので、上の写真とほぼ同じ位置を撮影していることが分かる。上2枚の写真は時刻としてはほぼ同じである。

 

霧のない写真は撮影していないが、自宅から一番近いところの橋の上から川下を向いて撮影した。中々の霧でしょう。

こんな霧が11月一杯は、天気の日の翌朝に見られます。中々の霧の町です、我が町は。

 

 

久し振りのツリー

アプローズタワーでは、昨年、一昨年と飾られることのなかったXmas tree が、今年は飾られた!!

コロナもようやく毒性が弱まり、一般の風邪と大差なくなったようだ。

例年飾られる構内の場所に、今年、久しぶりのXmasツリーが飾られた。ツリーの大きさは例年のものよりずいぶんと小型である。ツリーの形は例年のものより華やかである。

アプローズタワーの構内が広いので、ツリーが小さく見えるが、近づいてみると、

結構大きい。この場所で、Xmas treeを見ると、年末が近づいてきたと感じる。そして、通常の生活に戻ったことも感じられる。

 

アプローズタワー内の店舗(左右両側に見える店)もコロナ前とは異なっている。

コロナは我々の生活を一変してしまったが、それもようやく終わりを迎えたようだ。

アプローズタワーの外観である。

今月の言葉

昨夜(8日)は皆既月食だったようだ。おまけに、天王星食も一緒にあったようだ。4百数十年振りらしい。次は300年以上先のようである。ということは、今回の月食は、私にとって一生に一回だけ見られる月食ショーだったようだ。そんな珍しいイベントのある日だったようだ。

宇宙のスケールは、地上のそれに比べて天文学的な数値ばかりである。ある星座までの距離が1億光年、宇宙の果てまでが130億光年といった理解不能な長さで語られる。

それは兎も角、今月も、例の神社の門前の掲示板に、お言葉が書かれていた。

今日はその話。

近くから撮影しているので、文言は目視できると思う。

お言葉は、4行の文からなっている。後半の2行の「転んだのは 歩いたから」は、1行目が結果、2行目が原因というように因果関係が書かれてある。

4行の前半2行の「痛いのは 生きているから」も、因果関係を書いているつもりなのだろうか?

でも、「痛い」の原因が「生きている」というのは、風が吹いたら桶屋が儲かる、程度に因果関係としては間接的すぎる。普通だったら、「痛いのは 転んだから」と、転んだのを原因とすべきであろう。だから、お言葉は、文章として少し奇異な感じを持つ。

別の見方をすると、後半の2行は、転んだ、歩いたといった物理的な現象で記述されている。対して、前半2行は、痛い、生きているといった生体の感覚で記述されている。つまり、前半と後半は異なった対象を記述しているのである。ただそれだけで、それがどういうことを意味しているという訳ではない。

全体として4行の文の意味するところ、或いは訴えるところがあるのだろうか?我々に何かを諭そうとしているのだろうかと、じっくりとお言葉を反復して考えたが、私には何も感じるところが無い。むしろ、出来の悪さが目立つように思う。

今回のお言葉は、文章としての奇異さに加えて、意味、意図が伝わって来ない。だから、大きな声では言えないけど、お言葉としては、駄作だろう。

言い過ぎかな?

 

秋味(not beer)

秋の深

 

我が家で一番大きなミカンの木である。温州ミカンが一杯なっている。少しづつ食べているが、最近では甘くておいしくなったと感じる。

今年は数が多く、間引きが十分でなかったと反省している。来年は殆どミカンが出来ないだろう。間引き時期に、もっともっと落とすべきだった。

我が家で2番目に大きなミカンの木である。これも温州ミカンである。先日、1個採って味見をしたが、未だ甘さが足らず、収穫は年末か、来年になってからと判断した。

 

我が家で、一番小さなミカンの木である。これも温州ミカンである。1個だけ実を着けている。まだ、熟していない。果たして食用に供するところまで達するかどうか、不安である。でも、この木は今年初めて大きなミカンの実を着けてくれた。大事に食べてみよう。

我が家には、これ以外に「不知火」という種類のミカンの木が2本あるが、いずれも実を着けることはなかった。来年に期待である。

 

レモンの木である。今年は、レモンが沢山なり、少しずつ黄色くなってきた。

以上、我が家にとって味覚のお話でした。

10月の景色その4

投稿は11月になってからだけど、撮影および体験は10月末なので、表題の通りとした。

GOANはバスがとても気になるらしく、遠方からのバスの音を聞き分ける。そして、身構える。

遠方のバスのエンジン音に反応し、構えているGOAN。

10月末までは、5時過ぎに散歩へ出かけていたので、まだ薄暗い。

 

バスに近寄り、音源がどこにあるか探っている。

 

バスの後方に回りエンジン音が近いことを察知している。でも、それが分かったとしても、攻撃を仕掛けるわけでもなく、ジッと耳を澄ましているだけである。この点がGOANの優しさと感じる。バスに向かって嚙みついたら大変である。

 

散歩帰りに紅葉の進み具合を確かめる。

 

道路沿いのイチョウも色づいて来た。

そろそろ、立冬かな?

 

 

秋色

近所にアマチュアカメラマンがいる。市内にある撮影クラブに所属し、活発に活動している。とても才能があるのか、何度も展示会で表彰されている。

私はいつもカメラを持ち歩き、撮影しているが、何時も撮影した写真を見て、思うように撮影できていない。何が悪いのか、一番は才能が無いことであるが、それでも、綺麗な写真を撮りたい衝動を抑えることが出来ない。

それで、この間、近所のアマチュアカメラマンに、モミジが見どころである名所を尋ねた。聞いたことのない神社を教えてもらった。それで土曜日の午後2時を過ぎてから車を走らせ、神社を探した。

以下の写真は、その神社で撮影したものである。

モミジで覆われた小径である。現地で見た感覚では、大変綺麗なのだが、写真はそれほど出来が良いとは思わない。画角が広すぎるのだろうか?下側3分の1程は不要で削除すべきだろう。

 

赤いモミジや黄色いモミジ、更には青いモミジが入り混じっている。見た感じでは素晴らしく思った。でも、撮影結果はそれほど関心出来るような逸材ではない。もっと、日中の日差しが強い時に撮影すべきだったのかも・・・

 

神社の屋根とモミジの重なり具合が美しいと感じて撮影したのだが、下側3分の1ほどが邪魔に思える。

 

これも綺麗と思って撮影したのだが、今一感心しない。矢張り、明るさが足らないのだろう。好天のお昼頃に絞って撮影すべきなのだろう。

 

 

 

赤い橋とのコントラストが綺麗で撮影したのだが、何か物足らなさを感じる。撮影アングルは良いと思うのだが・・・明るさが足らないのかな?

 

 

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