丹後半島には古墳が多い。前方後円墳も大小いくつかあるし、円墳もある。
前方後円墳で一番大きいのは「網野銚子山古墳」だ。墳丘長が201m、築造時期は4世紀末から5世紀初頭と推定されている。丹後半島を1周したときに訪れ、古墳の上を歩いてみた。こんもりとした小さな山のようである。山頂は原っぱになっており、網野町、その外の日本海が一望できる。古墳は海岸線と平行に作られており、古代人が船で網野へ近づくときに、古墳の全貌が見えたようである。

上の写真は、銚子山古墳の後円の頂部である。結構広い。
その次に大きいのが、「神明山古墳」である。墳丘長が190mある前方後円墳である。築増年は、網野銚子山古墳と同じくらいである。
下の写真は、新明山古墳が築造された当時の周辺の状況を描いた絵である。今は、田畑になっているが、当時は湖だったようだ。湖から日本海には水路で繋がっている。水路の出口は「立岩」が聳えている。朝鮮半島から来た船は、水路を上がり、湖まで来たようである。その途上で、新明山古墳の全貌が見えたようである。

その他にもたくさんの古墳があり、丹後半島全体で古墳の総数は6000基あるそうだ。このため、丹後半島には古代丹後王国が存在していたと言われている。
古墳の数、大きさ、築造年代がヤマト王権とダブっており、そのため、丹後王国はヤマト王権の出先機関に過ぎないか、或いは独立した王国かという説がささやかれているらしい。
しかし、丹後王国は、6世紀中頃には、消滅したようである。おそらくヤマト政権の支配下に入ったのだろうと説明されている。
もともと歴史が苦手の上、古代となると、資料が少なく、推測の上に推測を重ね、真実が見えにくいので、これ以上私見を展開するのは止めておこう。

