大寒の寒さ

20日で大寒は過ぎたけど、寒さ厳しい毎日です。

今朝(23日)の気温は、下の温度計の下側中央に表示されている-5.8℃である。

この気温は、離れ庭の気温である。ネットの天気予報では、早朝-6℃と表示されていたので、大体等しい。この気温の中でワンちゃんと散歩した。

十分に暖かくして散歩したので、左程寒さは感じなかったが、路面が氷っていないかとても心配だった。前日に濡れている場所があると、確実に氷が張っている。その上を歩くと、ツルッと滑り、尻もちを着く。最悪、骨折もあり得る。

幸い、路面が乾燥していたので、氷が張っている個所は無かった。

下の写真は、一昨日の気温である。-4℃だ。

この程度の気温では、氷が張ることは少ない。庭の水道にしても、凍って水が出ないということは殆どない。

平地では0℃が、水が氷る温度であるが、経験上、0℃で氷が張ることは無い。何故だか分からないが、確かにこの温度では凍らない。路面で水が氷るのは-5℃、6℃である。どの地方でも同じだとは思わないが、我が地方では、水道の蛇口から水が出なくなるのは、マイナス4℃~6℃である。

尚、1枚目の写真と2枚目の写真の画色が異なっているのは、照明色のせいである。1枚目は、照明色を白色に設定、2枚目は照明色を白昼色に設定して撮影した。その上、2枚目の写真は、カラー調整をして白色に近付けた。

年初の買い出し

先週の金曜日に舞鶴の魚屋さんへ、年初の買い出しに行ってきた。

例年、1月に同じ魚屋さんまで、寒ブリ、牡蠣、カレイ、イカ、その他を買いに行っている。

舞鶴で購入する寒ブリは、伊根産、いわゆる伊根の寒ブリと称されるもので、味は一品である。食べ方は、お造り、シャブシャブである。

この時期、舞鶴の魚屋さんは、寒ブリ一匹か、一匹を4ブロックに分けたブロック単位にしか売ってくれない。寒ブリ1匹が3万円程する場合は、1ブロックが8千円超である。かなり高いが、味が良いので買ってしまう。

しかし、家族で1ブロックのブリを新鮮なうちに食べられるかと言うと、量的に無理である。我が家では、夕食のお造りとシャブシャブと、3,4日分のつけ焼きとを確保し、残りは近所の方に貰ってもらうようにしている。本当は1匹を8ブロック程度に分けた1ブロックが丁度いいのだけど、やむを得ない。

ところで、今年は、驚いたことに、買い出しに行ったものの、ブリが無いのである。ブリだけでなく、カレイなどの鮮魚もないのである。それで、ひいきの鮮魚屋さんで少しだけ買い物をして、トレトレセンターと、その近くの鮮魚店とを回ってみた。例年一杯鮮魚が置かれているトレトレセンターにおいても、事情は同じで寒ブリが全く見られなかった。午前11時頃と早いのであるが、お客も一人もいないのである。およそ商売が成り立たないような状況であった。勿論もう一軒の鮮魚店にもブリは存在しなかった。

結局、鮮魚店3軒とも、希望する魚は存在しなかった。

そんな中で、最初の鮮魚店で購入した久美浜産のカキが、とても美味しく、舞鶴迄買い出しに行ったことを意義あらしめてくれた。

自宅で、寒ブリのニュースをネットで検索した。舞鶴だけでなく、宮津、伊根の料亭のホームページは、寒ブリが先頭ページに掲載されている。でも、舞鶴の鮮魚店を実際に回った経験から、本当に伊根産のブリのシャブシャブを食べさせてくれるのか大いに疑わしく感じた。

 

 

 

 

 

早朝の気温の推移Ⅱ

昨日(5日)早朝と、今朝の気温を下に示します。

上側の写真が今朝の気温です。零度です。正確には0.5℃です。

 

下の写真は昨日早朝の気温です。マイナス0.9です。

とても寒かったです。

今年は特に寒いのかと思って過去の同月の気温のネタをこのブログで見てみました。

面白いもので、昨年も、一昨年も大体同じような気温の推移を示しています。今年の夏は暑かったので、冬も異常気象で特に寒いのかと思いきや、そうではないのです。

例年通りの気温の推移を示しているのです。

多分、太陽に対する地軸の方向が毎年同一性を保っているからでしょう。周知のように地軸は地球の軌道面に対して垂直でなく、傾いている。この傾きは、夏は太陽光が北半球を主に照射するよう、また、冬は南半球を主に照射するように傾いている。この地軸の傾きが春夏秋冬という季節を日本にもたらしているのである。大きな気温の変化はこの地軸の傾きが原因している。

地球温暖化が叫ばれるが、それは、季節毎の気温に足算する値でしかない。と、ブログを長年書いていると、思わぬ知識が獲得できるものである。

早朝の気温の推移

早朝のワンちゃんの散歩は日々寒くなると感じる。

ところが、気温は下の温度計に示す通り3度を下回らない。天気予報では、今日は当地方の最低気温は1℃であった。それが、3.6℃ある。

例年、天気予報の気温に対して、実際の気温は低く表れていた。ところが、今年は、天気予報よりも実際の気温が高いのである。

天気予報は、「ウェザーニューズ(WNI)」が提供する各市町村の天気予報で、当地区の市の天気予報である。毎年この天気予報を利用している。だから、通常なら、自宅の庭の気温は、天気予報の気温より低く出ていた。これは、天気予報の観測位置が我が家より低地で街中に設定しているからだと思っていた。ところが今年は、気温が観測点より我が家のほうが高くなっているのである。

まだ、冬の始まりなので、真冬になれば、例年通り観測点よりも低くなるのかもしれないとは考えている。

原因を突き止めるまで、気温の観測は続けてみる。

上の気温は今日の早朝の気温である。

下の気温は、11月21日の気温である。この時、2.6℃と低い。ただ、天気予報の予想気温より少し高めであった。

下の写真は、11月20日の早朝の気温である。

 

高齢の同窓会

中学校時代の同窓会を来月開催する。私はその幹事を務めている。

幹事は全員で5名である。同窓会開催に当たっては、同窓生の現住所の調査から同窓会案内状の送付、出欠の集計と結構やらなければならないことがある。

私はオフィスツールword,exelを使えるので、他の幹事が調査してくれる同窓生の現住所をエクセルに入力し、クラス毎、あいうえお順に管理している。また、同窓生全員の名簿を別途作成し、現住所の分かった同窓生、その中で出席、欠席の有無を記入して、同窓生の何割が現住所が分かったか、また、同窓生の何割が出席するか等管理している。

ここまでの作業は、高齢の同窓会特有のものでなく、同窓会一般にやらなければならない作業である。

では、高齢者の同窓会はどんな特殊な作業がいるかといえば、先ず高齢で足腰が悪い人が多いから、同窓会宴会場まで送迎バスを準備することが一つ。これは結構重宝がられる。

でも、送迎バスを仕立てる場合、同窓生が広範囲に分布しているので、バス希望の同窓生のためにどこにバス停を設置するかを検討しなければいけない。更に、そのバス停に集合する時刻を設定する必要がある。そのため、出欠が確定した後も、バス運行の連絡をしなければいけない。

次に、食事である。高齢者の場合、高エネルギーの食事は駄目だろうから、魚、野菜中心に決める必要がある。

そして一番重要なのは、中学生の時以来であっていない人と約60年振りに出会うので、顔を見ただけでは誰だか分からない。そのため、出席者全員に名札を作成し、着けてもらう必要がある。だから、名札つくりの作業が必要になる。

最後に、出席が決定している人でも、同窓会の開催日までに大病を患ったり、場合によっては死亡することもある。そのため、連絡網を充実しておかねばならないし、いつでも出席者の変更が出来るよう、同窓会直前まで管理しなければいけない。若人の同窓会も同様なケースはあるかもしれないが、頻度が少ない。老人の場合は、多い。本人の病気だけでなく、配偶者の病気、入院もあるからである。

今年、高齢者の同窓会を経験して、実に大変な作業であることが分かった。

待ってました!

昨日(9/21)は、とても寒かった。風が冷たく、気温もあまり上がらなかった。夕方になるともっと寒くなると予想された。

ということで、我が家は、今年初のシャブシャブです。勿論、鍋を加熱してのシャブシャブです。冷シャブではありません。

牛に、豚に、切りたんぽも準備しました。お餅は手に入りませんでした。

久し振りに旨かった。牛よりも豚のほうが歯ごたえが良く、美味しいと感じた。牛は今一つだった。

上の写真は我が家です。ここからは、ホテルです。

先週、宮津に行き、夕飯を「橋立ベイホテル」で食べてきました。コース料理で、とても満足の行く食事でした。スープも旨いし、メインディッシュも素晴らしかった。

宮津に行く多くの場合、寿司か刺身であったが、上記ホテルは魚を使いながらも、本格的コース料理を食べさせてくれる。

価格は多少高いかもしれないが、最近、寿司や刺身料理が高騰し、むしろ、ホテル料理が手軽で満足感が高いと感じた。今後、宮津へ行く際には、食事はホテルを利用する頻度を増やしたい。

 

メインは、焼いた鯛をベースにした料理で、絶品でした。おそらく季節によって、料理内容は変わるのだと思う。秋、冬の季節の料理が楽しみになる。

学歴詐称問題

春頃から、伊東市の市長が学歴詐称しているとして、100条委員会が審議し、最近、辞職決議の結論に達した。

学歴詐称は褒められることではないが、詐称していたからと言って、市長職迄辞する必要があるだろうか?

市長としての職は、問題なく処理しているのなら、市長としての適性はあると考える。

学歴詐称は、市長職の適性判断の材料となるのだろうか?逆に言うと学歴詐称することは、市長職不適正と言えるのだろうか?

そもそも、市長は選挙で市民によって選ばれるのであり、それは市長の公約が他の候補より多数の市民に支持されたからである。

学歴詐称は選挙の際には分からず、当選後に明らかになる事項である。

また、詐称したのも、大学卒業していないのに、卒業と記載したことである。大体、大学、それも私立のマンモス大学に行っている場合、卒業式に出ない人が多いし、卒業したかどうかは、多分、卒業式時点では分からない。

私事で恐縮だが、私は大学は卒業したが、卒業証書を見たこともなく(一応、卒業後大企業に技術者として就職したので、卒業は出来ている。)、卒業後15年ほど経って国家試験を受験する際に、大学から卒業証明を取得できたので、卒業したことが分かった次第である。この卒業証明が無かったら、卒業したかどうか、????のままである。

卒業したかどうかというのは、大学の場合、非常に分かりにくい。

件の市長の問題に関しては、市長に立候補する要件として卒業証明の提出が必要である場合は兎も角、そうでなく、学歴は自己申告制を採っている場合は、本人が卒業したと思い込んでいて、そのまま申告した可能性がある。こういった状況で市長に当選したとしても、学歴詐称していることの認識が無い限り、本人は卒業したと思い込んでいるので、詐称する意思が欠如しており、軽微なミスに過ぎない。これは学歴詐称とは言えないのではないか?

学歴詐称は、詐称していることを知っていて、あえて卒業と申告することが詐称の成立要件である。その要件が満たされない限り、学歴詐称とは言えないと思う。だから、市長職を辞する必要はないと私は考える。

上記私の思考過程で誤りがある場合は結論が逆になることもある。例えば、市長に立候補する際に、学歴を書類等で証明する必要があるのに、それが守られていない場合は、学歴詐称と言えるだろう。

私は、伊東市の100条委員会と市長との対立を見ていて、市長の学歴記載に誤りがあることを追求し、最終的に市長職を辞するところまで導くのは、市長として適職な人を糾弾することにもなり、感心しない。学歴詐称は市長職辞職理由にはならないと思う。だから、私は今回の100条委員会の議事進行は、駄目だと思う。感心しない。

 

雨後の貯水量

10日から12日までは、警報が出るほどの降水量だった。それまで、日照りで水不足が続いていたので、今回の降雨によりどれだけ、水瓶が潤っているか、探検に行ってきた。

前回のブログの写真と同じ地点からダムを見た光景である。前回の写真(7/30投稿のブログ)と比べてみると、殆ど変わらない。つまり、今回の警報級の大雨の後でも、水位は殆ど変わっていないのである。チョット信用できないと思ったが、矢張り、明らかな差異は認められない。

それでは、前回のもう一枚の写真を、同一ポイントからの撮影画像(下の写真)と比べてみたが、水位は殆ど変わらない。

 

どうして、雨の前後で推移が変わらないのか、その原因を考えてみた。第1の原因は、今回の豪雨の水量はダムの水位を変えるほどの量には至っていない。それだけ、ダムの貯水総量が大きいのである。

第2の原因は、雨後直ぐにダムへ行って撮影したので、まだ、豪雨の水がダムまで達していない。確かに、あれだけの豪雨なら、山から濁り水がおりてきて、ダムの水が茶色くなる筈だが、目視でも青々としており、濁り水は認められない。

第3の原因は、前回の写真は、7月30日であり、今回の撮影までに2週間の期間がある。その間雨らしい雨は降っていないので、豪雨の直前のダムの貯水量は前回の写真の水位よりも、低下していたと考えられ、今回の豪雨で、水位がまし、7月30日のレベルまで復帰した。

いずれの原因も正しいように感じられるけれど、どれが真実だろうか?今の時点では、分からない。

それは兎も角、昨日は、ダムの源流側へ遡ったところの景色を撮影した。下の写真がそうであるが、濁り水は一切認められない。雨が降って1日以上たっているので、上流には濁りが出ていても良いのだけど、それが無い。ということは、第2の原因は✕であろう。

 

同窓会開催まで道半ば

中学校の同窓会を開催することがこの春(2月末)決まり、私も幹部の一員になり、同窓生の住所調べ、案内状の送付、宴会場の選択等を、略4カ月かけて行い、ようやく開催の目途が立った。

慣れない作業なので、ミスがあってはいけないと思い、何度も確認して作業を進めたので、4カ月の間は忙しく、他の作業をする時間も意欲もなくなった。

今は、同窓会の宴会場も、出席者の数も決まり、一段落である。

今回の同窓会は、卒業以来60年ぶりであり、その間に一度だけ40歳の頃、同窓会があったという低頻度な集まりである。

だから、全ての同窓生の15歳か16歳の時の面影は、今は無いはずであり、同窓会場では、全くの浦島太郎の物語を経験するようなものである。これは少し楽しみではあるが、いずれにしても、おじいちゃん、おばあちゃんばかり、楽しみも半減である。

同窓生の20%以上が物故になっていた。年齢がら仕方ないのであるが、中学生の時、楽しく遊んだ人が数人亡くなっていて寂しい思いがした。更に、まだ生存していると思われるが、現住所が分からず、同窓会案内状が返却されてくる方も10人弱いた。同窓会出席者は卒業生全体の30%程度であった。他方40%程度の生存者は、欠席である。多分高齢のため、出歩くのが鬱陶しかったり、体調が悪かったり、するのであろう。

今日はこの程度で。これからはもう少し高頻度でブログ書きます。ヨロシク。

 

 

 

 

ハルカゼ

ゴールデンウイーク初日(5/3)に孫たちが熊本からやって来た。

と、ここまでは嬉しいことなんだが、その孫たちが風邪を引いていて、到着するなり、寝込んでしまう事態となった。母親はこうなることは十分わかっていたようで、私も、孫たちにとってせっかくの休みなのに、可哀そうにと思っていた。孫2人のうち一方は、風邪は左程重症ではないらしく、翌日か翌々日には、歩き回り、大阪万博へ祖母を連れて見学へ行った。

残りの孫も一日中、安静にしていたら楽になったようで、一方の孫が行った翌日、万博見学へと出かけた。

話はここで済めば、万々歳、メデタシメデタシなのであるが、実は、その日の夜になって、祖母が高熱を発症し、動けなくなった。翌日病院へ行き、インフルエンザと判明した。しかし、インフルエンザでも、39度を超える熱が出て、頓服を飲んでも38℃を少し下回る程度で、6時間もすると、すぐ39度を超えるところまで上がる。

三日ほどこの状態を繰り返し、何とか39度以上に上がるのだけは回避できるところまできた。ところが、孫2人と母親、それに祖母と4人が1部屋に寝ているものだから、インフルエンザのうつし合いが起こってしまった。もう回復した筈の孫がまた発症したのだ。同時に母親も発症し、発症していないのは、別の部屋で寝ていた私と孫の父の二人だけになった。

5月6日には熱のない孫1人と父親が帰路についた。残ったのは孫1人と母親、それに我々祖父母の計4人。このうち発症していないのは私だけで、残り全員が高熱にうなされていた。

私は極力発熱している者と接触するのを避けていたが、それでも、翌日から体調がおかしくなり、インフルエンザにかかってしまった。

以後、孫たち全員が帰って後10日ほど、体調が悪く、咳き込むことが多く、殆どベッドで寝たきりだった。

昨日(23日)から体のふらつきが少なくなり、平常生活に近づいて来た。

ゴールデンウイークの休みは、計画が沢山あったが、上記の通り、風邪、風邪、風邪であった。

教訓1:今後、熊本から一家そろってくるときは、その前に健康状態をチェックし、発熱している者がいたら、帰ってくるのを断ることにする。

九州地方のインフルエンザは、エゲツナクきつい!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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