SL広場

SLと言えば、京都では、京都駅の近くの梅小路にある鉄道博物館が有名だ。京都府内には実はもう一つあった。丹後地方の人は馴染みがあるだろうが、京都南部の住人はほとんど知らないと思う。与謝野町にある加悦SL広場だ。

加悦SL広場の全貌は、上の写真のようである。もう少し広くて、左側には駅の建物がある。

この広場には、いくつかのSLが陳列されている。

上の写真のSLは私の小学生のころには走っていなかったと思う。もっと以前に走っていたのだろう。もしかしたら、明治時代か大正時代の産物かも。

上の写真はラッセル車だ。除雪列車である。機関車の前に連結して、押すことにより雪をかき分ける。たぶん、自力で走ることはできず、機関車に押してもらうのだったと思う。

下の写真は小さいころ見たことがあるような懐かしいSLである。

かやぶきの里

先週永らく懸案になっていた問題が解決した。解決方法も私の納得できる状態であり、頭の中に立ち込めていた濃い霧が一掃された。

それで、週末は天気も良いし、久しぶりに美山町のかやぶきの里までドライブした。

道中の山々は紅葉が進み、目を楽しませてくれた。

かやぶきの里は、午前11時前に着いたが、駐車場は車が一杯だったし、かやぶきの里の中の道路は多くの見物客で溢れていた。驚いたことに、出会う人が喋っている言葉は日本語でなかった。中国語か韓国語である。こんな田舎まで、外国からの見物客が来るのかと驚いた。

でも、面白いことに、彼らは美山の茅葺の家を見るよりは、別のものを見て写真を写していた。どうも、彼らは、かやぶきの里の観光価値を分かっていないようだった。

【上の写真】 駐車場から見たかやぶきの里全景

 

 

【上の写真】 かやぶきの里の中心部分の景色

 

【上の写真】 茅葺の家と草、秋らしい風景と思い撮影した。

 

 

 

【上の写真】 昭和の初期には使われていたであろう道具、見たことのあるものもあるが、名前がわからない。

 

 

 

 

 

【上の写真】 昔はこんなのが近所にもあったような・・・

 

美山はここでおしまい。以下は、よく似ているけれど美山ではない。

 

 

【上の写真】 岐阜にある白川郷である。以前、見学したことがあるので、アルバムを探していたら、2002年のことだった。今から16年も前なんだ。

美山のかやぶきの里に行ったとき、白川郷にそっくりだと思い、わざわざ岐阜まで行かなくても、近くでよく似た建築物を見られると思っていた。しかし、今見ると、かやぶきの里と白川郷とは家の形も違うし、風景も全く違うことが分かった。

【上の写真】 白川郷に行ったのは、新潟の妙高山に登った後だった。1日余分に休みを取り訪ねた。夏の暑い日に行った。咲いている花はコスモスのようだが、行ったのは8月末の暑いときである。

[上の写真] 高台から白川郷を臨めた写真である。

魚っ知館

宮津市にある関西電力発電所の一角に魚っ知館という名の水族館がある。

あまり知られていないが、関西電力が経営している小さな水族館である。館内には、1つの大きな水槽が中央にあり、その周りの通路に沿って小さな水槽が沢山配置されている。

大水槽には、日本海に住んでいる魚だけが入っている。私は魚釣りをするけれども、日本海に生息するとは知らなかった魚が沢山いた。

【写真下】 クエである。クエも日本海にいるようである。

小さな水槽に入っている魚は日本海にはいないものも含まれている。

【写真下】 コバンザメである。コバンが明瞭に見える。丁度、水槽のガラスに吸着している。このコバン部分は、背びれから発達したものだそうだ。

【写真下】  クマノミ。熱帯魚だから若狭付近の日本海には生息していないだろう。

【写真下】 オオカミ魚である。なんとも怖そうな顔つきだ。ウニとか貝が鉱物であるようだ。大きな口で固いものを噛み砕くそうである。こんな魚を釣ったら、その人相の悪さにビックリする。

【写真下】 タコです。

 

【写真下】 アナゴです。アナゴは穴子とかく。確かに、砂に穴を掘って、その中に体を埋めている。

【写真下】 サカナではありません。魚ッ知館には広い庭があり、そこに広い池を作り、海水を入れて魚を放流している。池の深さは浅くて、子供たちも一緒に入って遊ぶ事が出来る。魚は、20cm程度のグレとか、それに似た魚であり、100匹以上放してある。

 

古代丹後王国

丹後半島には古墳が多い。前方後円墳も大小いくつかあるし、円墳もある。

前方後円墳で一番大きいのは「網野銚子山古墳」だ。墳丘長が201m、築造時期は4世紀末から5世紀初頭と推定されている。丹後半島を1周したときに訪れ、古墳の上を歩いてみた。こんもりとした小さな山のようである。山頂は原っぱになっており、網野町、その外の日本海が一望できる。古墳は海岸線と平行に作られており、古代人が船で網野へ近づくときに、古墳の全貌が見えたようである。

上の写真は、銚子山古墳の後円の頂部である。結構広い。

その次に大きいのが、「神明山古墳」である。墳丘長が190mある前方後円墳である。築増年は、網野銚子山古墳と同じくらいである。

 

 

下の写真は、新明山古墳が築造された当時の周辺の状況を描いた絵である。今は、田畑になっているが、当時は湖だったようだ。湖から日本海には水路で繋がっている。水路の出口は「立岩」が聳えている。朝鮮半島から来た船は、水路を上がり、湖まで来たようである。その途上で、新明山古墳の全貌が見えたようである。

その他にもたくさんの古墳があり、丹後半島全体で古墳の総数は6000基あるそうだ。このため、丹後半島には古代丹後王国が存在していたと言われている。

古墳の数、大きさ、築造年代がヤマト王権とダブっており、そのため、丹後王国はヤマト王権の出先機関に過ぎないか、或いは独立した王国かという説がささやかれているらしい。

しかし、丹後王国は、6世紀中頃には、消滅したようである。おそらくヤマト政権の支配下に入ったのだろうと説明されている。

もともと歴史が苦手の上、古代となると、資料が少なく、推測の上に推測を重ね、真実が見えにくいので、これ以上私見を展開するのは止めておこう。

 

姫路城

6月3日(日)は、地区の行事で姫路城を見学に行ってきた。見学出席者は、120人近くあり、大型バス2台を借り切って姫路まで行った。

大型バスとはいっても、1台当たり60人近くが乗るので、当然補助いすを使用しなければならず、道中の車中は少々窮屈だった。姫路まで2時間近くかかり、往復4時間なので、正直疲れてしまった。ただ、参加費が2500円と安いため、あまり文句を言うことはできない。しかも、新名神道路を走り、帰りには人気の宝塚サービスエリアで休憩もしたので、感謝するべきなのかもしれない。

アイキャッチ画像は、姫路城を正面から見た写真である。昨日は好天に恵まれ、ハイキングには適した気候であった。姫路城では、最初城の外縁を約1時間少々かけて歩き、2時間の自由時間を与えられた。姫路城外縁は、緑が豊富で、木陰が多く、日差しはきつかったが、暑さをしのぐ事が出来た。

上の写真は、男山山頂から見た姫路城である

 

上の写真は、姫路城のお堀の中を進む櫓船である

 


上の写真は、天守閣の鯱と同じ大きさの鯱である。鯱と鯱の間にお城が見えている。もう少しお城が大きければ、より面白いのだが・・・。

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