☂、☔、あめ、アメ、雨

7月5日(木)、6日(金)、7日(土)の3日間は雨ばっかりだった。特に木曜日は激しい降りで、傘を差していても濡れるような土砂降りだった。お蔭で、京都府下は、特別警戒が発表されるといった何十年に一度の危険な状態になっているとのことだった。

金曜日は、案の定、朝一番からJRは運休、高速道路、一般道路とも不通となり、市内から出て行く術がなくなった。しかも、止むことなく雨が降り続く。

昼前に食事に行くために、国道へ入ろうとした処、京都市に向かう方向が大渋滞で、結局、入れなかった。やむなく、自宅へ帰った。

国道も高速道路も不通のため、長距離トラックが延々と国道の上に並んでいる。不通が解除されるまでそこに待機するようである。金曜日は1日中、渋滞が解消されなかった。

今回の大雨は、京都府内だけでなく、関西一円、四国、中国、中部地方と広範に渡った。

そして、最初、金曜日は京都嵐山の渡月橋の河川氾濫が主たるニュースであったが、土曜日になると、広島、岡山、日曜日には、岐阜の郡上地方、四国宿毛というようにどんどと被害が広がった。

知り合いに、岡山の総社辺りが出身の者がいるが、実家近くの河川が決壊し、大量の水が市内に流入し、実家も被災したといっていた。丁度テレビで映像がよく流れた総社市内の近くで、映像では実家が見えないので、状況がわからないと嘆いていた。河川氾濫で、水位が2~3mあったそうである。

実家にはもうだれも住んでいないので、人的被害はないようである。ただ、大阪に住んで岡山の実家が被災していると、当分、被災地には関係者以外は立ち入れないそうで、なんとも歯痒い思いだそうだ。

関西では、日曜日になって、やっと大雨が解消した。今度ばっかりは、ホッとした。何せ大雨の程度が普通ではないし、降り続く日数も半端じゃないし、さらに範囲も日本の半分くらいと広かったから。

本当に、よくこれだけ降り続くもんだと感心したし、半分怖かった。我が家にも何か被害が生じるのではないかと、ビクビクしていた。

本来なら、自宅近くの大雨の状態を示す写真を撮影しているところだが、雨の程度が酷いので、撮影は一切していない。終わってみれば、あそこの川の氾濫を撮影しておけばよかったとか、国道の渋滞状況を撮影しておけばよかったとか、色々後悔する。

ソテツ

ソテツを1本植えている。購入は10年以上前になるが、中々成長しない。今のサイズは、購入時のサイズと変わらないように思える。ただ、葉だけは毎年生え変わる。

今年も、殆ど生え変わった。新芽から大人の葉に成長するまでのスピードは相当なものだ。早い。新芽が出るのは、5月から6月と遅いが、その後の葉の成長は早い。

今年は、ソテツの頂部にある葉の成長を記録しようとして、6月の末から今日まで連日撮影している。今日の段階で、葉が伸びきった状態に達し、これから葉が開いていくことになる。もう数日もすると開ききる。

最初の画像は、6月30日撮影のもので、ソテツ頂部の葉が15~20cm程度伸びている。数日前に新芽が出そうなので、古い葉を切った。すると、待っていましたとばかり、新芽が成長を始めた。

2枚目の写真は、7月1日の朝の葉を示している。以後は、毎朝、同じところから見た葉を示している。

3枚目は、7月2日の朝の写真だ。

4枚目の写真は7月3日の写真だ。

次の写真は7月4日の写真だ。

次の写真は7月5日の写真だ。

次の写真は7月6日の写真だ。

これからは、葉が開いて行き、緑色が濃くなる。今日以降も、できるだけ、成長過程を撮影しておくつもりである。

追記

下の写真は、7月7日に撮影したソテツである。昨日とあまり変化がないように思える。多少、開いたのだろうか?

次の写真は、7月8日に撮影したものである。

前日よりも多少開いただろうか?また、色も少し濃くなっただろうか?

次に写真は7月9日に撮影したものだ。前日より多少広がっているかもしれないが、殆ど変らなくなってきた。

次の写真は、7月10日の朝撮影しものだ。前日、前々日ともほとんど変わらなくなってきた。それで、今後はもう開き方に大きな変化は期待できない。後は、葉にツヤが出て黒っぽくなってくることだ。それで、勝手ながら、ソテツの成長は今日で打ち切ることにします。

「潜伏キリシタン」世界遺産

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第42回世界遺産委員会は、6月30日に、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)の世界文化遺産への登録を決めた。

数年前に、天草の崎津地区の教会は見学したことがある。アルバムをみてみると、何枚か見つかった。

日付は、2015年6月29日となっていた。丁度3年前に訪れたのだ。崎津集落は、入り江の中にひっそりと佇んでいた。普通の民家が集まっている雰囲気で、その中に一際高くそびえるのが、教会だった(下の写真)。

下の写真は、教会の敷地内に掲載されていた、この教会の由来を書いた看板だ。

教会のすぐ横(と言うか後ろ)が海である。入り江になっているので、波は穏やかで、その海にボートが一艘静かに繋がれていた。

ボートと反対の入り江の奥側を見た風景だ。

崎津の集落の中は、こんな感じの家々が集合している。

世界遺産登録された今は、多分観光客が多く訪れるので賑わっているのだと思うが、3年前は、訪れる人は疎らで、街中はひっそりとしていた。

下の写真は、長崎の大浦天主堂だ。訪れた日付は、2013年4月29日になっていた。もう5年も前になる。

この大浦天主堂を見学して、教会に興味を持ち、2年後に崎津カトリック教会を訪れた。両協会が一緒に世界遺産に登録されたことは、私もうれしい。天草にはほかにも立派な教会があるけれど、今回の登録には含まれなかった。

趣味の園芸

趣味というほどではないが、庭でいろんな草木を育てるのが楽しみだ。

生育中のいくつかの植物を紹介する。

これは「ナンジャモンジャ」と呼ばれる木である。正式名は「ヒトツバタゴ」というようである。現在、樹高2m少し。高木の部類に属するので、10m程度にはなる筈である。

春には、白い細長い花を一杯咲かせる。その花が、風に揺れてとても幻想的で綺麗です。この「ナンジャモンジャ」は庭のシンボルツリーとしている。庭の中央に1.5m程度の円形の栽培地を作り、そこに植えている。ナンジャモンジャの根の周りには、マリンゴールド、ケイトウ、日日草といった花を植えている。

これは、スモークツリーと呼ばれる木です。文字通り、煙のように半透明で、柔らかい綿のような感じの花です。我が家では、この赤っぽい花と、白っぽい花の2種類育てている。白っぽいスモークツリーは下の写真に示します。

 

この木は酔芙蓉という木である。

とても生命力があり、1年で2mほど成長する。ナンジャモンジャよりも存在感があり、どっちがシンボルツリーなのか分からないと感じる。夏には、花を咲かせるが、その花が朝は白っぽいが、夕方になると、赤っぽくなる。それで、お酒に酔っているように見えるところから、酔芙蓉と名付けられたらしい。単なる芙蓉という花もある。色は変化しないようである。

ミカンの木、レモンの木をそれぞれ2本ずつ植えている。ことしは1本のミカンの木がたくさん実をつけた。写真は現在生育中のミカンの実である。こんなサイズが一杯なっている。

これは、モグラを追っ払う道具である。地中に30cm程挿入している。内部には単一電池4本とそれによって駆動される発振器が収納されている。モグラが嫌がる音が10秒毎に1回鳴る。電池が消耗するまで46時中鳴っている。それで、モグラがにげるようである。1本のモグラ追っ払い機で、直径10mの範囲まで効果があるそうだ。ただ、地中の中に固い岩のような障害物があると、効果は減るようである。我が家では2本購入し、互いに離れた個所に設置している。電池の寿命は半年以上ある。庭にはモグラが沢山居たようで、この道具を設置する前は、モグラの穴が一杯開いていた。モグラは木や草の根っこを痛めるので、追い払う必要があるようだ。設置後は、モグラの穴は急激に減った。草木も元気になった。

これは、斑入りススキと呼ばれる草だ。葉に一定間隔おきに白い麩のような模様が入っている。私はこの草が好きで、もう一か所にも植えている。白い麩があるせいで、涼しく見える。風鈴の音を流せば余計に涼しく見えると思う。

これはイチジクである。まだ高さが40cm程度の低木だが、今年やっと、実を着けた。これが最大で、もう一個小さいのがなっている。イチジクはとっても好きで、秋の収穫時期が楽しみである。

雨傘

今朝、テレビを見ていたら、雨傘の新製品を紹介していた。

1つ目は、表面が濡れない傘だ。傘の布が、極微細に凸凹加工した新素材としていた。小さな凸凹なので、雨粒の接触面積が小さくなり、球体が斜面を転がるように落ちるようである。接触面積が少ないので、傘表面が濡れないそうである。

この傘は、通勤電車に乗る際に、畳んでも濡れていないので、カバンの中に収納できる。とっても便利だ。

2つめは、とても軽い傘だ。骨の数を5本に減らしていることと、骨として合成樹脂を用いていることで、100gを切り、70g程度だった。携帯電話よりも軽かった。軽いことは、持ち運びが楽になり、これも購入意欲を掻き立てられた。

3つ目は、ドローン式傘だ。ドローンは自動追従にセットすると、上空を飛びながら、操作者に自動的に追従する。この機能を利用して、ドローンの上に開いた傘を取り付け、操作者の少し上を飛びながら追従するようにしている。勿論、操作者は傘を持つ必要が無い。

ただ、自動追従は確かに操作者から一定高さを維持するが、雨の降り方によっては、前に傘を傾けたり、左に傾けたりする必要がある。ドローンの場合、雨の降る向きによって追従位置を変更してくれればいいが、操作者がその度にドローンを移動操作しなければならないなら、不便であるし、操作中に濡れてしまう。

よって、ドローン式雨傘の発想は良いが、実用性に関しては、もう少し見てから検討すべきと感じた。

 

よく見る他人のブログの紹介

よく見る他人のブログをいくつか紹介する。

山の寺blog  :和歌山のお寺のお坊さんである。お坊さんとして修業されているだけあって、日々体験したことから受ける教訓が大変参考になる。そして、更新頻度が高い。画像もそこそこあり、読むのが楽しみである。凡人の考えとは一味異なっている。

悠但訪    :但馬地方を中心に丹波、丹後にある山や丘、名所を散策した記事を収録されている。有名な山から地元でしか知られていないような山まで、沢山紹介されている。登り口までの道路の案内も詳しくて、参考になる。登り口から山頂、山頂から麓までの複数の通過点について画像入りで説明されている。登りたい山があった場合、このホームページを訪れると参考になる。

flightrader24    :ブログではないが、日本中、および世界中の今、飛行している飛行機を地図上に表示している。観測したい飛行機があると、そのアイコンをクリックする。そうすると、出発地、到着地、到着時刻等々の情報もみることができる。そして、地図上の飛行機アイコンは時々刻々と位置を変えているので、対象の飛行機が今どこの上空を飛んでいるか分かる。

私は、知り合いが飛行機で旅行する際に、飛行機便名から飛行機を追跡し、無事目的地に着いたかどうかを監視している。こういった目的での利用もでき、役に立つ。

飛行機の現在位置を示しているホームページとしては、上記以外に、リアルタイムフライト追跡と言うページがある。このページでは、飛行高さも表示している。

 

大阪北部地震

先ずは、9歳の児童をはじめ、6月18日の地震において亡くなられた方々のご冥福を祈ります。

地震当日、私は高熱で自宅のベッドで寝ていた。ゴーッと言う音とともに、建物が揺れた。ただし、程度は大したこと無くて、別段非難する必要はないし、タンス、食器棚等が倒れることもなく、コップが倒れることすらなかった。震度でいうと、2か3だろうと思う。

ただ、自宅は震源地から遠くなく、気象庁の発表では、自宅のある市は、震度5強となっていた。

阪神大震災の時もそうなのだけど、気象庁発表の震度に対して、有感震度は、頗る低い。

何故、これだけ深度に差があるのか考えてみた。一つ考えられることは、自宅は、山の中腹の斜面に建っているからだと思う。理由は、岩盤が山の裾野より低い地中にあり、自宅から岩盤までの距離がながく、岩盤からの振動が減衰して伝わるからである。これは全く私見であり、実際に岩盤調査などやったこと無く、根拠が無いかもしれない。でも、地震の時の有感震度が気象庁発表の震度より随分と低いことは事実である。

池田市に住んでいる方と、地震の話をしていたら、有感震度は低かったそうだ。その人の解析では、池田市は震源地の高槻市との間に山があり、その山が振動伝搬に対する抵抗となったためらしい。これももっともな理由だと感じた。この理由に従えば、わが町も震源地との間に大きな山がいくつかあり、地震に対して減衰ダンパーとして作用したとも考えられる。でもしかし、それならわが街全体で震度が低い筈だ。気象庁が発表する震度もそれを想定して低いものになる筈だ。しかし気象庁は、震度5強と発表している。変である。

病気が回復し、ワンちゃんと散歩がてら近所を歩いているが、地震の爪痕は全く感じられない。近所はどこも地震に対して被害はないようだ。

気象庁の発表する震度って、市内のどこを基準にしているのだろう?分からなくなってきた。

古代丹後王国

丹後半島には古墳が多い。前方後円墳も大小いくつかあるし、円墳もある。

前方後円墳で一番大きいのは「網野銚子山古墳」だ。墳丘長が201m、築造時期は4世紀末から5世紀初頭と推定されている。丹後半島を1周したときに訪れ、古墳の上を歩いてみた。こんもりとした小さな山のようである。山頂は原っぱになっており、網野町、その外の日本海が一望できる。古墳は海岸線と平行に作られており、古代人が船で網野へ近づくときに、古墳の全貌が見えたようである。

上の写真は、銚子山古墳の後円の頂部である。結構広い。

その次に大きいのが、「神明山古墳」である。墳丘長が190mある前方後円墳である。築増年は、網野銚子山古墳と同じくらいである。

 

 

下の写真は、新明山古墳が築造された当時の周辺の状況を描いた絵である。今は、田畑になっているが、当時は湖だったようだ。湖から日本海には水路で繋がっている。水路の出口は「立岩」が聳えている。朝鮮半島から来た船は、水路を上がり、湖まで来たようである。その途上で、新明山古墳の全貌が見えたようである。

その他にもたくさんの古墳があり、丹後半島全体で古墳の総数は6000基あるそうだ。このため、丹後半島には古代丹後王国が存在していたと言われている。

古墳の数、大きさ、築造年代がヤマト王権とダブっており、そのため、丹後王国はヤマト王権の出先機関に過ぎないか、或いは独立した王国かという説がささやかれているらしい。

しかし、丹後王国は、6世紀中頃には、消滅したようである。おそらくヤマト政権の支配下に入ったのだろうと説明されている。

もともと歴史が苦手の上、古代となると、資料が少なく、推測の上に推測を重ね、真実が見えにくいので、これ以上私見を展開するのは止めておこう。

 

高熱でダウン

先週の木曜日に風邪の兆候があり、一日用心した。これで風邪も回復するとおもって、土曜日は釣りに行った。釣りといっても、波が高く、船上でバランスをとるのが難しい状態だった。これは過酷な運動なのだろう。土曜、日曜の昼頃までは症状が出なかったが、夕方ちかくになり、すごい悪寒を感じた。心配で熱を測ると、38度近くに達していた。深夜2時頃には39度を超え、頓服を飲んだ。それでも、朝方で38度近い熱だ。仕方ないから、月曜日は仕事を休み病院に行って、治療薬をもらった。

月曜日は午後2時頃にまた39度を突破した。頓服で熱を抑えたが、その日の深夜2時頃また39度超えだ。

38度5分を超えると頓服を飲んでいいようだが、連日1回か2回は頓服の世話になっている。

今日、火曜日は、午後1時過ぎに38度まで達したが、それ以上は上がらなかった。それで頓服は飲んでいない。何とかこれで熱が納まってほしいのだが、今回の風邪はとてもしぶとい。

土曜日に無理をした祟りだろうと反省と我慢をしている。

考えてみれば、こんな高熱は、扁桃腺で40度近くまで上がって以来、30年か,40年ぶりだ。

ウイルス性の風邪で高熱は、記憶にない。もしかしたら生まれて初めてかも。

宮津で釣り

6月16日(土)、学生時代の友人2人を誘い、ボート釣りをしてきた。

当日京都桂を9時半発で、11時半現地着、12時出航、1時頃より釣り開始。

梅雨前線の南下や台風の影響を受け、海はウネリが残っていた。前々日、前日はもっと凄かったようで、ボートを出すことができなかったようだ。

それでも、沖へ進むと、結構揺れる。釣りのインストラクターとして依頼した山田さんのアドバイスに従って、素人でも釣れると思われる漁礁へ移動した。

山田インストラクターの手慣れたヤマタテ、投錨で、アンカリングし、釣り開始する。

1投目から当たりがあり、良い型のアジが釣れた。2投目は全ての針に掛かっていた。

友人2人はインストラクターの指導のもと、仕掛けを投入し釣りを開始した。殆ど船釣りには慣れていないけれど、そこそこ釣っているようだ。

私は、もう爆釣モードで、4投か5投した段階で、今日の夕飯のおかず及びお土産を確保した。

船上は結構揺れたが、釣れるものだから、皆頑張って釣りまくった。一段落して食事をしたり、再び釣り始めて数を確保したりして、3時過ぎには数的には十分になったので、終了し寄港した。

於:マリーナ前の浜

於:マリーナ前、今日の釣果  70匹は超えている。中型アジが大半で、他レンコダイ、アマダイ、カワハギ少々。

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