昨夜(8日)は皆既月食だったようだ。おまけに、天王星食も一緒にあったようだ。4百数十年振りらしい。次は300年以上先のようである。ということは、今回の月食は、私にとって一生に一回だけ見られる月食ショーだったようだ。そんな珍しいイベントのある日だったようだ。

宇宙のスケールは、地上のそれに比べて天文学的な数値ばかりである。ある星座までの距離が1億光年、宇宙の果てまでが130億光年といった理解不能な長さで語られる。

それは兎も角、今月も、例の神社の門前の掲示板に、お言葉が書かれていた。

今日はその話。

近くから撮影しているので、文言は目視できると思う。

お言葉は、4行の文からなっている。後半の2行の「転んだのは 歩いたから」は、1行目が結果、2行目が原因というように因果関係が書かれてある。

4行の前半2行の「痛いのは 生きているから」も、因果関係を書いているつもりなのだろうか?

でも、「痛い」の原因が「生きている」というのは、風が吹いたら桶屋が儲かる、程度に因果関係としては間接的すぎる。普通だったら、「痛いのは 転んだから」と、転んだのを原因とすべきであろう。だから、お言葉は、文章として少し奇異な感じを持つ。

別の見方をすると、後半の2行は、転んだ、歩いたといった物理的な現象で記述されている。対して、前半2行は、痛い、生きているといった生体の感覚で記述されている。つまり、前半と後半は異なった対象を記述しているのである。ただそれだけで、それがどういうことを意味しているという訳ではない。

全体として4行の文の意味するところ、或いは訴えるところがあるのだろうか?我々に何かを諭そうとしているのだろうかと、じっくりとお言葉を反復して考えたが、私には何も感じるところが無い。むしろ、出来の悪さが目立つように思う。

今回のお言葉は、文章としての奇異さに加えて、意味、意図が伝わって来ない。だから、大きな声では言えないけど、お言葉としては、駄作だろう。

言い過ぎかな?

 

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